思い出し笑いのように

テオブロマhttp://www.theobroma.co.jp/)のサン フォアキン ドス(すごくチョコレートなチョコレートケーキ)を思い出して、機会があったらまた食べられるといいなあと思う程度に、店の前を通る機会すらなくなっている。

それらから遠ざかってしまった諸々の理由周辺は味わい深いしょっぱさに満ちていて、引き返せないし引き返したくないしでもまだ店はあるしあの味を食べる機会が0になった訳ではないのよどうどう、と自分を落ち着ける。

そういえば10年位前のフレッシュネスバーガーのチャイが好きだったのですが、その後暫くして現在の味にリニューアルして全然違う味になったので、10年前のレシピを探ってみようと思ったけど解らないまま現在に至る。

さすがにスパイスの調合比を想像で当てるのは素人には難しい。カルダモン、ジンジャー、シナモン、アニス?少なくとも今よりミルクの量が少ない気がするし今のように甘くもない。はず。

味覚や香りなんていう微妙なものを完全に脳が保存できてるかはわからない。曖昧なものに引っ掛かってる記憶の断片を不意に引っ張り出してくる脳の仕組みがよくわからない。

そんなこともありましたね。ありましたよ。

 

 

「体にいいことをしている」(多分)

 俗に言う「ぎゅうぎゅう焼き」ですね!

matome.naver.jp

オーブンの火加減は機種によって違うと思うので、もしやってみよう!な方いらっしゃいましたら、なんかこう適当にうまくやってください。私にはそれしか言えぬ。

因みに粒マスタードは今回はこれを使ってみました。

マスコット マスタードピクルス 80g

マスコット マスタードピクルス 80g

 

 なんかすごく粒がでかくてブチブチしておいしい。

プチプチ♥っていうよりブチブチする。面白くて良い。

衝動買いというかストレス発散で、一期一会のような食べ物と遭遇し購入し戦い味わい思い出へと流してゆく一連の流れを、よくないような気がしつつもそこそこ愛している。

『溺れるようにできている。完全版』Kindle版配信開始のお知らせ

 Kindle版ていうか電子書籍版、配信開始になりました。

溺れるようにできている。 完全版

溺れるようにできている。 完全版

 

1月にananでインタビュー&紹介記事書いて頂いたときの↓

 しかし旧版の自己紹介に自ら書いた「ジャンル:ハートフルがっかり」が未だに引き継がれていていつの間にか自称じゃなくて他称っぽくなってきたので「よし!やったぞ!」という感覚と「えっ、ちょ、」という感覚とを足して2で割らない感じになってきました。

旧版の折り返し↓

 HONZでの集英社ジャンプ jBOOKS編集長・浅田さんの『楽園』紹介記事↓

 足して2で割るタイミングを逸してしまったような。

宜しくお願い致します。

安定しない

何故か解らないけど唐突にみかんゼリーブームらしきものが来る。普段はもう少し濃い味が好きな気がしているのに、味覚がそうなるのは唐突に突然のことなので、取り敢えず冷蔵庫開けたらそこにあると嬉しい。ある。良い。

 

このフルティシエのシリーズ、いちごのやつが大変美味しかったのでみかんのも買いました。

因みにみかんゼリーは買うのは悔しい。みかんの缶詰買ってきてゼラチン入れて自分で作れる気がして。でもフルティシエだからいいことになってる。フルティシエ、なんかどういう意味なのか全然解らないところがいい。多分。

取り敢えずこのシリーズ賞味期限が余裕あるので、買って冷蔵庫に放り込んでおくと、少し弱った自分が見つけてワーイってなるしくみ。

基本的に「自分で作れるか作れないか」が買っていいかどうかの基準になっている。でも外でコーヒー飲んじゃうんだ。馬鹿だな。

安定してこれが好きとも言い難い日々が続くが、安定して安定しないともいえるのかもしれない。

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しかしいちごのは季節限定品なのか、来年も作ってくれるだろうか。作っていただけたい。

 

Windows IMEで素から

ずっと「~です」が「~で素」に変換されがちだったのを何とか直してみた。

辞書の学習データを開いて一部の学習してしまったと思われる項目を削除したり、修復と書かれたボタンを押したり。たまに「このボタンを押すという行為で本当に何かが行われているのか?」と不安になる。PC関連で「キャンセル」というボタンを押したらいつも確実にキャンセルしてくれる訳ではないから。でもハードディスクにアクセスしてるっぽい待ち時間とか小さなガリガリという音を感じて初めて「おっ、なんかしてくれてるな!」という信頼を寄せるのだ。

パソコンは「99%完了中」とかいうから待ってても、実はすっかり気を失っててそのまま一晩止まり続けるっていうか、死んでる……!とかもよくあるので信じてない。そんなことなら「多分大丈夫!」くらいの表示でいいんだ。日本人的にはそのくらいでいいんだ。いや他の人を巻き込んではいけない、私個人としてはそのくらいの曖昧さでお願いしたいんだけど無理だろうな。取り敢えず一応今回は信じてみることにする。

という事情により使用感を試すためにもブログを書いてみようと思いましてかたかたと打っておりますが一応「で素」の呪いは解けた筈。って説明するために何度も「で素」したらまた学習されてしまうので「で素」の部分はコピペでそっと頻出させております。

これで長年(いやここ数か月)親しんだ「で素」ともお別れの筈。

修復されろ。

修復してください。

煙る春

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冬と春の境目に落ちた様な日が続いて、冬でも春でもない日を過ごしている。
眠ったら、朝になったら、ご飯を炊こう、とか楽しそうな事をなるべく考えるようにする。

雨が降っていて、きっと寝て起きた私はご飯を炊かない様な気がする。冷凍していたパンを解凍してしまったもの。
でもパンにのせるものが何もないし、買い物に行きたいけど雨が降っている、じゃあどうしようね。

よいことと、じっと息を潜めてやり過ごしたいあんまりよくないこととを見たり感じたり、過去は変えられないが未来は変えられる、という希望溢れる言葉の適用範囲内と外がどの辺りなのかとか考えたりして。

黙祷するように目を閉じよう。目を閉じるように黙祷しよう。おやすみなさい。いつか、また。来年も。

探し物はなんですか

見つけにくいものです。

と結論を述べ、以上で主張は終わりです、にしたかったが、できない。確定申告の書類は私の日々の暮らしの影響により発見が困難なものばかりだったが探さねばならぬ。仕方がない。確定申告なのだから。仕方がないのか。仕方がないのだろう。
お陰で家はひっくり返したおもちゃ箱のよう、掘り返された貝塚のよう、冬の石を持ち上げたらわらわら出てくる虫達のよう。

どうしてこうなんだろう、家はその家の持ち主の心と連動している説を何も否定できないくらいには常に混乱しているけど、でも何もここまで、いやこんな感じの気持ちだもの、どうしよう。

本屋の片隅の「買うより捨てた方が早い」という片付けの秘訣を書いた本を読み、なるほど確かに、と心を新たにした(つもり)。
よし、頑張ろう、頑張らねば。

ひとつばかり気になったことと言えば「買うより捨てた方が早い」という主張に、確かにね、と思ってその本を買わなかったことだ。著者よそれでいいのか。

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しかしそうすると食べ物なら消費して消えるから買っていいものなのでは、という結論に間違って行き着いておやつを買ったりしてしまう。
色んな間違いの果てに今日も。