「紅葉」紅葉の天麩羅

小さい頃、関西の親戚に京都の山へドライブに連れて行ってもらったことがある。
車が苦手な私にとって、「ただただ車が気持ち悪かった」という記憶が突出しており、あとは、途中、山の休憩所のようなところで紅葉の天麩羅を食べた…という、子供らしい身勝手さに満ちた思い出と化していた。
今手元に「選べるギフト」の冊子と申し込み葉書がある。お香典返しに頂いたもので、そういえば、その親戚が亡くなったのだ、と今気が付いた。
時間は過ぎるものなのだ、という事、そして時間の経過により記憶の輪郭は幾らでも不鮮明になり、しかしあるきっかけで緩く姿をあらわす。面映ゆいかなしさ。
もう一度食べる機会があるのかも解らない。取り敢えず、秋の山の木々の底の濡れたような空気と、運転席の影をセットに、これらの記憶を改めてしまっておこうと思う。
塩だけで食べるのが好き。